« 夜間に気になる症状がいろいろ | トップページ | 腎不全に光…進行中 »

2021年2月 8日 (月)

罹患と自責

新型コロナに罹患した人が病気そのものではなく、周囲の人からの納得できない扱いを受けたり自責にさいなまれたりして苦しんでいるとのニュースが度々報じられている。

病気になった場合の苦しみは人により様々なので、一般論ではなく私個人の罹患時に関する苦労をまとめてみた。
感染症を含み長期の入院や寝たきりになったことが数回あったがいずれも、
病気の症状による痛みや不快
病気であるための行動の制約
病気であることへの他人からの批判や差別
病気であることへの自責や恐怖感
等が大なり小なりある。

私がこれらに対処するために、苦痛には治療を欠かさず、不便には工夫で、他人から差別等には冷静な話し合いで…と何とか軽減の努力をしているが、一番厄介なのが自責や恐怖だ。

ああしたらこうしたらとの後悔、自分は社会に有害な存在ではないかと思わせる多くの憶測、このまま病状が悪化して死に至るのではとの恐怖、とどめにこの辛苦に耐えるくらいなら死んだ方がましかとの悲観、等々…特に症状が重い場合には否定的な思いばかりが心に飛び交うが、そのいずれも自分自身の思いが作り出してしまうものと頭ではわかっても、心がそれを断固拒否する。

それは重症の場合だけには限らない。
不便であること以外に大した苦痛がない現在私が罹患している慢性の腎不全でさえも、例えば家族と共に食事をする場合、家族用に色彩豊かで様々な食材が並ぶ食卓を眺めていると、時折家族が口にする言葉は「ごめんね、自分たちだけ」…だ。
その言葉を言う方の思いと聞く方の思い…良いとも悪いともここでは触れないが、お互いの気持ちは無風の日本晴れではない。
その言葉を聞くと、10年前の私のブログ「涙のわけは?」で述べた家族の状況を思い出す。

私は過去数回疾病により医師から死の宣告をされた(と回復後に家族や親族から知らされた)が、なんと知らされて苦労した家族はすでに他界、なのに今私だけが生きている、これを幸運というのか…との思いもあるが、医療チームの活躍、家族の献身、そして私を必要とした人からの精いっぱいの応援で生かされてきたのだ。

私をとても可愛がってくれた知り合いのおばあちゃんがいつも、
「死んで花実は咲くものか、蝶々トンボやバッタでさえも、ひとが手を出しゃバッタバターと逃げるじゃないか」ワッハッハーと、体が弱かった私に言ったことを今でも、その声と顔と共にはっきり覚えている。

感謝の気持ちとチャンスさえ有れば、生きて生きて生き抜くのが生物ではないか…だから生きることに遠慮はいらない、自分がどんなに生きていたくとも、ダメな時は世間がちゃんと見捨ててくれるから…って病気と闘う励ましになっていないか。

昨夜の夕食後から寝るまでと、その夜の零時から丑三つ時まで心房細動や頻脈に悩まされ続けて、布団に寝ている間のトイレ通い7回、まともに眠った記憶がない…アレ?眠ったら記憶できない?…どちらでも良いけれど1日眠い…生きるのってやはり大変だ…でも生きているうちはがんばるぞーっ、それが私を生かしてくれた人達への精いっぱいの感謝だ。

« 夜間に気になる症状がいろいろ | トップページ | 腎不全に光…進行中 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 夜間に気になる症状がいろいろ | トップページ | 腎不全に光…進行中 »

無料ブログはココログ