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2019年4月15日 (月)

腎移植

先日TVを見ていたら、腎臓の闇取引に関する放送をしていた。
世界では臓器移植件数の7割が腎移植で、その多くは闇取引だそうだと聞き思わず見入ってしまった。

海外での腎臓の闇取引をレポートする若い外国人記者からの、腎臓を買った人への質問はストレートだった。
「違法なのに何故腎臓を買ったのですか」

私はその若い記者を「腎臓をとられたり、必要になったりした事がないから、そんな質問を出来るのだ」と反論したくなった。
取材はその買った人から始まり次に腎臓を売る闇とその悲惨さに向けられた。
そして腎臓売買を巧みに紹介する闇のブローカー、これは金銭目的ではなく善意による無償の提供だとの証明書を作る闇、さらに闇の弁護士を経由し、患者を大切にする寛容な医師を通して闇は消え、正規の手続きに基づき病院が腎移植を施術する。

闇への取材なので当然、腎臓を売ったお金で豊かな生活を得た人、腎臓を買って自由な世界を取り戻した人、これらの輝かしい実績が有ったのかどうかはこの報道では触れないまま終わりの時間が迫った。
記者にとっては所詮他人ごとなのだからそんなもんだろうと思いつつも見ていたら、その記者が最後に述べた言葉は「取材で腎臓を買いたい事情と売りたい事情をつなげるルートの取材をして分かったのは、この闇は違法だから直ちにやめるべきと単純に言えなくなった」と締めくくった。

法律に詳しくは無いので正確な表現を出来ないが、日本では人の臓器の売買は禁止されている。
お金を必要とする人から、買えるお金がある人に体を切り売りする構図は、確かに割り切れない気持ちがある。
真偽のほどはわからないが、宗教上の理由から子供の輸血を親が拒否した結果、子供が死んでしまったとの記事を見た記憶が有るが、私の場合は私の子供に腎移植が必須となり、他の人から善意で腎臓を提供すると言われたら、提供して頂いた方の将来を案じてお金の提供を申し出るだろし、相手が受け取ればこれも臓器売買となってしまうのだろうか。

外食もままならず毎日1グラム単位で計量しながらタンパクと塩分を管理している私を見て私の父は「(当時は)合法的に腎臓を買える×××国が有る。そこで移植してこないか」と提案をしてきた。
その頃はまだ悪化の初期であったこともあり「その国では合法とは言え、日本で違法なことを外国でするのは気が進まない」と父に告げた。
すると父は、自分の腎臓が使えるか医師に聞いてこいと言うのだ、父も腎臓は一つしかないのに。
驚く私に父は「もし私が死んだらだよ」と付け加えた。
日本では家族などからの善意による移植が9割で他国と比べて家族などからの提供が多いらしい。

それが理由なのかはわからないが、亡くなられた方からの臓器提供は世界的に見ても日本は僅少だそうだ
日本は臓器提供を了解すれば死後に臓器が提供(オプトインと表現していた)されるが、提供率が高い国の多くは、臓器提供拒否の意思表示をしなければ臓器は提供(オプトアウトと表現していた)されるそうだ。

いずれが良いかわからないけれど、透析を必要とする日本の患者33万人、でその内毎年3万人の方が死亡していると別の番組で放送していた。
その放送では更に、日本が透析についやしている医療費は毎年一兆五千億円だと告げていたが、私としてはそれら二つを並べて示した意味に何となく違和感が有った。

話は変わるが別のニュースで、人からの臓器提供に頼らないで済むように、豚に人の遺伝子を入れて腎臓などを作る実験が認可されたと告げていた。
この場合豚と人の境界線がかなり曖昧になるだろう。
私の境界線を自分に聞いてみたら、
・人の腎臓を持った豚は…豚だろう
・消化器や循環器等、お腹の中の臓器が全て人の内臓の豚は…ギリギリで豚?
・後天的に獲得する理性や知性が無い、生まれたばかりの人の脳を持った豚は…これは…豚じゃない
となった。
この基準からすると、私が豚さんから臓器を頂いて罪悪感が少ないのは、上から二番目までとなった。

うーんここまで書いて、結局何を言いたいのかわからなくなった。
まとまらなかったのは、腎移植への私の倫理観が迷って揺れているからだろう。

今のところ腎移植は、私の細胞を使い私の体の中もしくは装置の中で出来ての移植ならば、私の倫理観を満たしてくれるのだが。

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