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2018年12月10日 (月)

一寸先に有る物は…

昔流行った曲の歌詞で女性が、子供の頃は母に、そして成長してからは恋人に、自分の将来を訪ねたならその回答がいずれも「ケセラセラ」で、そして自分の子供に聞かれたときもそう答えた、そんなほのぼのする内容だったと記憶している。

しかし、そう言われても知りたいか否かは別として、やはり自分の将来にチョッピリ興味はある。
古より知るための手段として占いがあるが、現在でも話のネタの一つとなれるのはすごいが、現代頼りにされているのは科学的手法に基づくものだろう。

身近な例で、交通渋滞予想や天気予報は、私だけではなく多くの人が活用している情報だろう。
ただ、交通渋滞予測は道路の渋滞予測を知ったドライバーがその予想に基づきその場所を迂回したらその迂回路が混んだ、との放送が有ったので言われてみれば「さもありなん」と笑ってしまった。

他にも、最近の株取引もAIの予想に基づき、極端な例ではコンピュータが全自動で売買するシステムもあるようだが、株取引で全員が儲かるとの保証は無いらしく、いくら高性能なシステムで予想したとしても結局未来は混とんのままであることには変わりがない。

余命を告知される場合も未来を知らされる例だろう。
私としては告知を望んでいない。
それは告知されると動揺する…のが本音かもしれないが、私が望まない理由は、本の物語の結末にいかに興味が有っても、私は結末から読まないのと同じ理由だ。
結末を知ってしまったら、私自身のたった一回の物語を最後までわくわくしながら読めなくなるのはとても損をした気分になるからだ。

それに居直りもある。
私には、もっと早く死ぬはずだった(と親が行っていた)私がポンコツになった今でも生きているとの病歴がある。
最近のニュースでも、余命一年と言われ仕事をやめて住まいも処分したにもかかわらず5年経った今でも生きているので生活に困窮しているとの報道が有った。
又、告知されなかったために困難が発生したと医師が訴えられたとのニュースもあり、告知されるにしろされないにしろ、トラブルはあるようだ。

そもそも余命を告げるときの根拠は、過去の統計から同一の症状の患者の死亡が半数を超える期間辺りを指すらしいので治療が日進月歩の昨今、たとえ告知されたとしても自分にとって都合の良い解釈をしていた方がハッピーなのかもしれない。

現実は告知の有無にかかわらず、事故や発作で私の心臓は突然に今止まるかもしれない。
止まれば数秒で意識を喪失するので、死を怖がる暇すらない。
普段からそのつもりでいれば、余命を告知されたところでせいぜい落ち込むだけで他にすることはないだろう。
なんて分かったような事を言っているが、そんな覚悟はできていないし、私が自分の死んだ後を考えるのが面倒なために、ケセラセラと問題の先送りをしているだけだが。

科学が進歩してきた現代でも一寸先が闇、来年の事で鬼に笑われる方が自分の人生はドラマチックだ。
等と思うのは師走も半ばとの季節柄のせいか、それともそれ相応のお年頃のせいか…
いやいやそんなことはない、私の目標は150歳まで生きることだ。
  A@A
§―_―;§先すぎて…笑えない

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