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2018年4月 2日 (月)

生も死も無い世界

Webのニュースに、
「100年も経たない将来、人の体に生物的部分は残っておらず、全て人工的な機械に置き換わると予想している科学者がいて、その時代は死も病気も無く、太陽から無尽蔵なエネルギーが得られるようになる。」
との記載が有った。
 
それを読んだ時は、人類誕生以来ず~っとまとって来た、この構造を、そんなに短期間では放棄しないだろうと思ったが、私に当てはめてみるとそうとは言えなそうだ。
私が現在不調だと思っている腎臓や心臓が更に悪化してしまい、それを私の延命のためには体内埋め込み型の機械的装置に置換しなければならなくなったとすると、装置が体内に入る不安は有るものの受け入れてしまうだろう。
他の体の組織も同様で、徐々に装置に交換しなければならないとしたら、やはり受け入れるだろう。
唯一悩ましいと思うのは脳のマシン化だがそれも、以前のブログ「脳にICチップ」の中で、脳の機能の一部をICチップが補完する程度なら受け入れてしまいそうだとも述べた。
これらを考えると、生きるためには機械化が必要となった時には案外短時間に、私の完全機械化は進むのかもしれない。
それに、もし私の体が完全機械化をしていれば、他の生物を食べて生きる罪悪感からは解放されそうだ。
 
等と考えるとあらためて生物とは、生きる事とは何だろうか考えるが、調べてみても諸説紛々で、納得のできる答にはたどり着かない。
ただ、冒頭で書いた「死も病気」も無くなるとすれば、その裏側の「生も健康」も無いことになる。
それならば、私の体が何で出来ているかにかかわらず、死の無い私は生物ではなさそうだ。
 
先日のある夜、人影のない暗い公園を歩きふと見上げると、今年も夜空からは美しい月と満開の桜が静かに私を見下ろしていた。
2
見慣れたはずの風景だが、眺めているといつも心がとても静かになる。
そんな気分の時は、これから来る私の人生がどのような形であっても、生も死も無になるまで、ドーンと受け止めて行こう…なんて開き直れてしまうのだけれど。
 

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